火の鳥と幼少時の人格形成について
かなりお久しぶりでございます。砂糖島です。
このブログが存在していたことも忘れ、仕事と趣味に没頭しておりました。
ちなみに仕事は毎週辞めたいと思いつつもなんとか続いております。目指せ最長職歴(※半年超え)
題名の話に移ります。(文章をまとめる力がないため長文です。すみません。)
火の鳥という漫画をご存知でしょうか。
知らないかたのほうが少ないかもしれないですね。
かの有名な手塚治虫先生の傑作でございます。
私は恥ずかしながら、つい2年前まで読んだことがありませんでした。
(とうに成人は通り越しております)
今まで触れたことがなかったんですよね。小学校で男子が読んでいたのを耳に挟んだくらいで、内容も全く知らなかったのです。
ですが、2年前(……くらい)にコンビニでプチ雑誌のようになっているあの、アレです。廉価版の。コミックの。(語彙力の欠如)
あれで買ったんですね。「太陽編」でした。
「~編」というので構成されているのも知らなかったので、とりあえず気になったし買ってみるか、みたいな気軽な気持ちだったのですが
これめっちゃくちゃおもしろくてですね。
なんで今まで読まなかったんだろう!?と思うくらい本当に面白かったんですよ。
何十年も前の作品なのに色褪せない作品の魅力って本当にあるんだなと感じまして。
太陽編が面白くてKindleで他の話も購入したのですが、特に気に入ったのが「未来編」でした。
マサトとムーピーのタマミの話から始まり、身を置く環境や人々、マザーコンピューターの存在、核戦争など……
本当に未来に有り得そうな展開や世界観に驚愕しました。
そして読了して、10回くらい読んで考えました。
小学生の子供の頃これを読んでいたら自分の人格は変わっていたのではないか、と。
小学生じゃなくても構いません。中学生でも高校生でもいいのです。
つまりは多感な時期、人格形成がなされる時期にこのような哲学的で人生観をガラッと変える、とも言える作品に出会っていたらその人の世界の見方まで変わるのではないかと考えました。
(他にもこのようなことに言及している素敵なブログ様があったら申し訳ございません。
思い立ってこの文章を推敲もせず書いているため未確認です。)
ただ自分が感じたこととしては、クラスメイトの小学生の男の子がどのような気持ちでこの漫画を読み終え、何を思ったか。
その気持ちはその後の人生に影響を成さなかったか。
今更小学生に戻れるわけもありませんし、当時のクラスメイトに連絡をとれるほどコミュ力もないのでわかりません。(むしろ突然連絡してきてこんなこと聞かれたらやべー奴認定をくらいそうです)
クラスメイトではなく私の元知り合いの男性の話ですが、火の鳥を読んでからその人は人生観が変わったと言っていました。
昔した話なのでうろ覚えですが、彼はとても刹那的でした。そして哲学や科学にとても造詣が深い人でした。
輪廻転生を信じているかはわかりませんでしたが、死んだら火の鳥の一部になり世界の一つになるのかもしれないと言っていた……気がします。
勿論これは単なる一例です。ただ単に中二病を引きずっているだけと言うかたもいるでしょう。
ですが、確かにそこに、彼の人生観はひとつ変わっていたのです。
たかが漫画だと思う大人(特に年配の方でしょうか)が多くいますが、
こうして人は変わるものなのです。
火の鳥を題材にあげました。これは私が衝撃を受けたからですが、火の鳥だけではありません。
なんの漫画でも、音楽でも、絵画でも、文章でも、言葉でも
人生観や人格形成には思いもよらない水滴の波紋で変わるものであり、それは誰も想像できないことなのです。
友達から「お前はブサイクだバカだ」という言葉を子供の頃言われ、大人になって「そんなことないよ」と言われたとします。
「そうか!そう言ってくれる人もいるんだ!自分は違うんだ!」
と考える人もいれば
「あんたに何がわかるんだ。自分は本当にだめな存在だ」
こう考える人もいるでしょう。
ではこの違いとは?
単にポジティブだから、ネガティブだから、それだけではない何かが奥底に沈んでいるようでなりません。
それがまさにその人の人生観であり人格形成であり
ではそれは先にどこで行われているのか?
うーん考えるとキリがなくなってきました。
タイトルからも逸れてきたような……
文章を推敲しないで脳直で書くものではありませんね。
まあいつもそうなんですが……
それではおやすみなさいませ。
砂糖島